自殺で死なれると、どうにもどうしようにも正当化できるネタも慰めになるネタも救いになるネタもない。病死でも事故死でも突然死でもなく、長く苦しんだからとか、本人は苦しまなかっただろうからとか、だから神様が呼んでくれたのだとか、どんな方法でもその死を正当化できない。救いがなさすぎる。生きているのが苦しいという理由で死なれてしまうと、どういう形でも穏やかな離別に転化していけない。いくら時間がたっても、その死を受け入れるプロセスへと進むことができない。この感覚をうまく言葉にできない。

 5月12日に、母からの電話をアトリエでとった。「もにちゃーん、○ちゃん死んだ」。怒っているような投げやりのような力が抜けきったような棒読み口調を、今でも頭でリアルに再生できる。発見者から電話がかかってきたそうだ。「それで、○○さん、死んでますって。」

 体内の血が一気にどこか一か所にいってしまって、体が熱いような寒いような、経験したことのない極度の緊張状態になった。あれ以来、私の中で何かでっかい何かが大きく変わってしまった。リアルというものに対する感覚が、なにかどうにかなってしまった。

 私たちは一体何だったのだろう。過ごした時間は一体何だったのだろう。交わした会話は?いろんな思い出は?あれは一体何だったのだ。私は一体何を見てきたのだろう。私が見てきたものは、経験してきたものは一体何だったのだ。もう居ないという感覚もよくわからないし、では本当にいたのだという感覚も、今ではもうよくわからない。何もかも踏みにじられたみたいな感覚だ。何に踏みにじられたんだろう。それもよくわからない。
 体に穴があいたような感覚でもない、がすっと深い傷を受けたような感覚でもない。何かでかい黒いものがいきなり被さってきたみたいな感じだ。