やっぱもなかはいいな

mxoxnxixcxa2009-09-20

 20歳の頃はたぶん色々と当たり前だった。
 時間も若さも十分にあって、先のことなんて、得体の知れないことだもん。で済ませていられたような気がする。自分だっておばさんになっていくっていうことがリアルではなかった。若いことは私にとって当たり前のことだったから。別に戻りたいとは思わないけれど、輝かしかったんだって振り返って実感する。
 おばさんという記号を軽蔑していた。いくつになったらおばさん、という具体的な数字設定も想像できないくらいに遠い記号だった。鈍くて図太くて無神経で醜い。
 アラウンドサーティーとなった今、尊敬すべき女性の先輩方を通じて少しずつ何かがわかる。鈍くなるんじゃなく強くなるのだ。図太くなるんじゃなく逞しくなっていくのだ。ずるくなるんじゃなく賢くなっていけるのだ。全ての女性がそうというわけではないとしても、どんな風にでも年は重ねていけるんだろう。
 誕生日のろうそくの魔法、月のウサギ、サンタクロースの正体、星は死んだ人ではないし、叶わない夢がほとんど。虹のかなたなんてないのだ。とかとか、そんな失ったなにかの郷愁に浸る時の、なんともいえない甘くて青くさくて悲しい感じは、失わなければ味わえなかった。10代の修羅に戻りたいとは思わないし、ハタチはハタチで混沌としていた。
 三十路になった。この年齢になれば、きっと色んなものを超越した何かになっていると思ってた。劇的な変化なんか特になかった。たぶんこれからもないんだと思う。けれどなんとなく、なんとなく微々たる何かを重ねてきた気はする。失ったものよりも得たものの方が大きいって強く実感する。
 今年は3つの個展をして1つの賞をとっていくつかの経歴を得た。友達もいるし、まあ健康だし、差しあたって緊急を要する問題を抱えているわけでもない。
 だけど一体いくつになったらこのわけのわからない不安は消えるのだ。どうしたらこのどうしようもない寂しさを無視できるようになるんだろう。10年前より今の方が確実に生きやすい。なのに寂しさは消えない。寂しい淋しいさびしい。孤独になるのが恐い。たぶん40になっても50になっても変わらないだろうか。
 もう結構前にmixiに無理やり加入させられたけれど、知り合いが読むこと前提の日記に何を書けというのだ。やっぱりもなかは、私専用の「王様の耳はロバの耳」穴としてとっておこうって思った。
長く放置しすぎて、もはやどう使ってたかをほぼ忘れてるってことに気付いたけれど。