なんだって忘れてしまう

 春めいてきたから、これからそうか春が来るんだ思い知らされて、何となくいらっとする。毎年毎年頼んでもいないのにやってきて、さあ行けもう行け新しく始まれとかなんとか、別段これといって成長も変化もしていないというのに背中をぐいぐい押してくる感じがして、なんとなくそこはかとなくそれとなく滅入る。頼んでもいないのにやってきて、正体不明のどうしようもない喪失感を浴びせかける。
 春が嫌いでしょうがない。どうしてか大事な人が3人も散り散りになっていくから、この春は本当にこたえる。私はたぶんきっと恐らく絶対に、身体に大きな穴が開くのだと思う。それできっと恐らく半年とたたずに、その人たちがいなくても回る生活に、哀しいけれどすっかり慣れているのだと思う。
 もう会えないもう居ない人のことを、最近はほとんど思い出さないってことさえ忘れていた。Yさんが逝ってしまったのも春で、最後にしたお花見のことを思い出して、脳内がぎゅっとする。毎日あんなに泣いていたのに、置いていくなんて悲しくてどうしていいのかわからないって思っていたのに、Yさんのことを考えも思い出しもしない日がほとんどになってしまった。人生における忘却って、賢くて優しくて悲しくて悔しい。忘却じゃなくて適応なんだけれど、欠落や痛みとか離別にだって慣れてしまう。それが寂しくて優しい。