加齢=劣化ではないと信じ…てる

mxoxnxixcxa2007-08-08


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日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る 
     ギヨーム・アポリネール「ミラボオ橋」抜粋

 日中の京都は一寸我慢できぬくらいに蒸し暑く、サングラス無しでは目がやられてとてもじゃないけれど歩けやしないのですが、みなさんはどうですかこんばんは。今夜も素敵に熱帯夜です。
 久しぶりにもなかライフに戻ったら、はてなの何やら新☆機能はじめ、アクセス解析ブログペットの最中が、私の訪問に「もなかだ!!」と言ってくれていることに気づき、些細なことで、あ、こんな私でも待っててくれたんだ…と、僅かにほっこりできるくらいには孤独。なんとなく、薄ぼんやりと。
 先日、友人たちが私の生誕日祝いをして下さり、なんともはや人生は時々、実に悪くないんだと思った日。友人作のレアチーズケーキは見た目がしんどくて味は非常に美味しくて、私が以前ふとのたまった、「チーズケーキは、ベイクドよりもレアがいけてる」という発言を覚えていてくださったことに、静かに感激する。しかしてメインはイカウォッカ。スイカウォッカを染み込ませシャリシャリいわせて食すという、考えた人はもう天才かというくらいに美味。鴨川にて、もう何年ぶりかと花火に懐かしく火をつけながら、ウォッカの回った友人が生まれたてのインパラのような走りで深夜の信号を走って渡ってくる姿を眺めながら、おお人生は時々とんでもなく悪くないわと、なんとなしに差し込むようにふと思った。そうして京都在住人ども、来年から鴨川で火の使用は全面禁止になるって聞いたよ。
 一体いつから、誕生日がご愁傷様に感ぜられるようになったのか。年を重ねるほどに、どどどどうしよう!みたような正体不明の焦りが募ってゆく。思い切って三十路を超えた辺りから、女は頑強になれるんだろうかと、三十路までのリミットに思いをはせ、いいや、三十路を超えたら超えたで滅法しんどそうだよとも考え直す。何がどうというわけでもないけれど、何となぁく30までに何かしておかなければいけないような気がしてしまう。そんなもの幻よって脳内小人が。
 あるねえさんは三十路を超えたら開き直ったと言い、あるねえさんは、三十路になった時は全く平気だったが、年々三十路は重くのしかかってくると言い。よもや自分が二十歳になるなんてと思っていたのにすでに20代を何年か過ごしてしまい、驚いたことに私が20代を折り返してしまっているということに、改めて愕然とする。誕生日が来るたびに。うわあ!私の年齢の頃には、母が兄を産んでいたんだった。ええ?
 女はどう良く解釈しようとも、貫禄や渋さが相当なプラス要因として加味されてゆく男性とは少しく異なり、外面上では若さにしか価値が見出せない生き物。どうしても、得るものよりも失って行くものの方に意識が向いてしまう。鏡を見るのが嫌になるとか。でもでも、信じてる。年を重ねていくほどに女は賢く強くなるんだって。
 ハタチそこそこの頃には、「年をとる=おばさんという記号になってゆく=図太く鈍くなっていく」ことだと思っていた。たぶん、そうじゃない。そうじゃないって信じてる。何年か経って法令線がくっきりと浮かび、目じりに笑いじわが張り付いたって、何かを失ったんじゃなくて多くを得た証拠なのだわって思いたいの。
 乙女道は生まれて死ぬまでの長いスパン。それなのにどうして、時に平坦すぎる毎日が我慢できぬくらいに空しくなるのか。うつつは夢。長いと思ってたらあっという間だよって脳内小人。