人生は100円ショップ

mxoxnxixcxa2007-04-11

 かなり前、私がまだもっと青かった頃、小耳に挟んで忘れられない1節があります。永遠の命を探してさまようギルガメシュの話。人間は与えられた日々を生きればいいのだ。本当はものすごくシンプルなことなのに。なのに。

 シドゥリはギルガメシュに言った。
ギルガメシュ、お前は何処に彷徨い行くのか。お前が求める生命を、お前は見つけることはできないだろう。
神々が人間を造ったとき、彼らは人間に死をあてがったからだ。
ギルガメシュよ、自分の腹を満たしなさい。昼夜、自身を喜ばせ、日夜、喜びの宴を開き、踊って楽しみなさい。
衣を清く保ちなさい。頭を洗い、水を浴びなさい。お前の手にすがる子供に目をかけ、妻を歓ばせなさい。
これが人間のなすべきことだ。お前の求めるものは、この世には存在しないのだ」
 
ギルガメシュ叙事詩:BC.2600頃 

 スケッチ旅行での夜、アルコールを吸収しながら記憶スケッチ祭を催し、描けそうで描けないものって結構あるなと実感したわけですが。
 それは別にいいとして、大体が美術系・それもファインアート属の人間というのは、美大のお花畑っぷりを思い出してもやっぱり、少しく世間一般に対応しきれないタイプも多いというか、自分自身にのめり込んでしまうとか、余計に悩んでしまうといった人間が多いわけで。私もまあ上がり下がりがない方でもないけれど、私の目指すところは怒り狂っているときこそニッコリ笑えるフラットな人間なので、あまり感情に振舞わされないように常から心がけているつもり。
 それも別にいいとして、旅行メンバーには突出した感情の上がり下がりに振り回される人、下がりっぱなしでセラピージプシーと化している人などなどが。そのうちの一人は、両親が画家で、もう争うように描いていた家庭で祖母に育てられた人だった。両親が画家という、その殺伐とした家庭の空気は容易に想像できるよね…。彼女は三十路となっても、優しい旦那さんに愛されても、いつまでも「捨てられた、いらない人間」という思いが捨てられず、親が憎くて憎くてそれでも愛して欲しくて…っていうことを、初対面の年下に本音トークをしてくれたんだった。
 それもまた別にいいとして、備忘として書いておきたかったのは、彼女のどこまでも温厚で優しい旦那さん(趣味で絵を描くサラリーマン)がむくっと起き上がって、「日々を過ごすことって、100円玉1個だけを握って入った100円ショップだと思うんだよね」と呟いたその言葉に、私はものすごく納得したんだよということ。
 本当にそうだよね。人生は、100円だけを握り締めて入った巨大な100円ショップ。棚の間を歩き回って、あれも買える、これも自分のものに出来ると思っているうちは、全てを手に出来る可能性を持ってる。「全部アタシのもの」と思い込める。1個買ってしまえば、あれは買えなくなるし、これも買えなくなる。けれど、迷い続けて、あれもこれもと迷っているうちに閉店時間がやってきて、結局何も買えなくなるかもしれない。だからある時点で、ひとつを選ぶのだ。
 私は、旦那さんであるYさんは、奥さんたるAさんに言いたかったんだなと思ったの。1個買った後のことを。ひとつを手にしてショップを出た後、「ああ、こんなにいい物を買えた。良いもの選んだ。ああ良かった、幸せだわ」と思って過ごすのも、「本当はあれを買ったほうが良かったのかも」と思うのも、「あっちの棚にはもっと良いものがあったかもしれない、本当は自分はあれを買おうと思っていたのに」と思うのも、事実そのものは変わらないけれど、雲泥の差なんだよって。
 過去は変えられないのだ。手に入れられなかったものを、手に入れられなかったと嘆くのは損だし、手元のものを愛しく思って生きる方が絶対にお得。私は過去は未来によって変えられると信じたいと思っていて、この先をどうしていくかによって、過去のあり方を自分の中で変えられると思いたいの。「あれの所為で、こんなことになってしまった」と考えて暮らすより、「あれがあったから、ここまでこれた」と思う方が楽だもの。そうなれるようにこの先を行くしかない。
 そう思って、「原因を知りたい」と催眠療法に通いだしたという彼女にそれとなく、過去に犯人探しをしても、それは幻想じゃないか、たった一つの原因を探し当てれば本当に楽になるのか、人間はもっと複合的なものであって欲しいと思ってると話したけれど、彼女は「私なんて…」と暗い顔をしていた。精神分析は、結局おまじない程度のマインドコントロールでしかなかったのに。人間は、自分に都合のいい記憶を捏造できるしたたかな本能を持ってるから。
 こんなに優しい旦那さんが居て、存在それごと良しとされてるのに、その点だけは少なくとも幸せじゃないの?と彼女に訊いてみた。「こんなにいい人だから、絶対に私を置いて早く死んでしまうと思う。私なんかいちゃいけない人間だから」と言うAさんと、彼女を困ったような優しい笑顔を浮かべて見つめるYさんを眺めながら、人間が生きることは、どうしてこうもシンプルじゃないんだろうと思った。彼女が早く自分の人生を生きられるようになればいいなと、心底思った、そんなことがあった。どっちが年下なんだという会話をしつつ、すんませんね、生意気で。けれど彼女は幼い。
 ボーダーと暮らすことは、生半可なことじゃないと思う。境界例の膨張した自己は、周囲の人間を傷つけても振り回しても、繰り返しこう言うの。「寂しい寂しいさびしいさびしい。誰か愛して愛して私を許して認めて受け入れて」って。どんな言葉も届かない。「わかってない、わかってくれない」って。びっくりするほど自己評価が低い反面、自分にしか興味を向けられない。ひっくり返して考えれば、そこまで自己愛を膨らませなければ居られなかったほど、寂しかったんだと思う。けれど。でもでも。私は人のふりを見て我を振り返るの。こうならないように気をつけなくちゃって。優しいと言われると、時々申し訳なく思う。私が他人の話を優しくきけるのは、根っこが冷たいから。