自称鬱持ちちゃんたち

mxoxnxixcxa2007-02-18

 別に私が発見したことではないけれども、自称鬱持ちはもう、=自己愛過多もしくはナチュラルな自己中と認定してもよいのだろうなと確信を持ったんである。ここで私が言っているのは、うつ病と戦いながらなんとか生活(通勤・通学等)を頑張っている人や、擦り切れて服薬しながら休養をとっているような人のことではありません。以下、私的な指摘が続きますと偶然に寒いことを言いながら、自分の心の狭さを照射したいと思います。
 私が私が、それはどうなん?と思うのは、鬱気質持ちを理由にして、そこにあぐらをかいている困ったちゃんどもなわけで、こいつらの困ったところは、「すごくしんどくて」というのを、「気分がのらなくて」というのを、自分の中だけにとどめるという社会的な態度がとれずに、他人にアピールし、「だから許してね☆」みたような甘えた姿勢を示すところなんである。然るに、“ツライアピール”をすれば、周囲は受け入れてくれて当然、理解を示して当然と思っているという、どこまでもふやけたメンタリティ。ドタキャン上等。言い訳の才能保持者たち。
例えば、例えばの話だけれど、そういう人の特徴を列挙すると、

  • 自分の話をするのが大好き。
  • その中で、過去の辛かった体験を切々と語る。(ex:いじめ、満たされない子供時代、摂食障害の経験、リストカット歴などなど)
  • どんな話題にも、どこか病んでいる自分を絡めてくる。(ex:「私なんか、ほっといたら死んでそうとか言われちゃって☆えへへぇ」)
  • 何度となく、みえみえの嘘をついてドタキャンする。
  • もしくは“調子が悪くて”ドタキャン。
  • 調子が良いときには、夢いっぱいのプランを語る。
  • 数分遅れていくから、店の前で待っててくれと強く言う→30分以上、友人たちと雨の中凍えて待つ→電話する→電波が届かない→ようやく通じると、本人は家にいる(ええ?!)→ここまで待ったんだから来いと言う→10分でこれる距離に、倍以上かけて現れると、死にそうな鬱顔。「無理に誘ってごめんね」と頑張って大人の笑顔で言うと、「…だるくて」。

 もういいや。ほかのサンプルもあるけど、考えるだけで自分が醜くなっていきそう。過剰な自己愛に振り回されている男性も知ってる。自己愛に現実がかみ合わないことで苦しむのは、本人にしてみれば無間地獄なんだろうけど、いい年して毎日ゲームと映画に逃避。申し訳ないけれど軽蔑してしまう。鬱に逃げ込む期間が長引くほど、鬱に浸る言い訳が増えていく。
 日本人がよく諸外国からダメ出しされる所謂アルカイックスマイルって、素晴らしい文化だと思う。外国に住む分には違うと思うんだけれど、日本にいて日本人を相手に日本文化圏で過ごすときには、絶対に必要。「こいつの人間性疑うわ」と思いながらも、顔には神秘的な微笑をたたえる、これ。なに考えてるのか分からなくて上等。それが狙いなんだもの。人間関係を円滑にするこのポーカーフェイス。笑顔という名の無表情。感情をむき出しにしないことこそ日本の美徳。
 そこへきて、この困った人たちは臆面もなく、エキセントリックなまでにつらい顔やしんどい顔をすることが出来る。なんとなれば日本文化を超越できる、実はすごい人たちなのかも。凡百なる人間はついぞ、「ああ、うざいと思われたらイヤだわ」とか、「自己の内面を見せるなんて恥ずかしいわ」とか思ってしまう。そう思えば、彼や彼女たちは、日本固有の“恥の観念”から解き放たれた、自由な人たちなのだろうと思うことにする。自由すぎて、他者の心情もろもろまで想像することの出来ない思考回路の不自由さは抱えているんだろうけど、本人たちは気づきもしないからこそ、あえて自由人。なんていうか、はは、甘えてんじゃねえよ。うそ。そっかーツライよね…。
 病的な自己中という自称鬱持ちアピールちゃんたちに出会ったら、笑顔で距離を保つべき。相槌は「あーそっかー」「あーそうなんだー」「あーそうだねー」 これくらい用意してあれば十分。正面から向き合って親密にやっていこうというんでもなければ、厳しいことは言わなくていいよ。傷ついて数日籠もったり、リストカットされて加害者になるのはいやだもの。辛さは他人にアピールしたって軽減しないし、アピールしなくても友人なら察し合うことだって出来る。毎日しんどいのはみな同じなんだってことを、自称うつ持ちアピールちゃんは気づかない。
 長々愚痴をぶちまけながら、何だか悲しくなってきました。私はなんて心がせまいんだろう。こういう人たちも、わざとやってる訳じゃないと分かってはいるんだけれども。