少々詰め込みすぎだよ

 朝から友人と美術館・ギャラリー巡りの約束をしていたわけで、念のために8時半に電話してもらったわけなんですが、頭がクソいてえの。なんていうか、天井がゆっくりと回っているというのでしょうか。私は大して酒に強いほうではなく、また新陳代謝が相当悪いので、明らかにアルコホオルは全身に残留していて胃の辺りをぎうぎうする。
 こういう時は動かなきゃダメだと熱いシャワーを浴び、ブラックコーヒーをドリップして胃薬を飲み、梅干を食べて、京都国立近代美術館へ。「梅干を食べたから大丈夫、梅干を食べたなら大丈夫」と、根拠は何もないけれど自己暗示をかける。
 で、行って来たのは、東京で大盛況だったという「伊藤若冲と江戸絵画展」。若冲、かっこいい。問答無用にかっこいい。あと、京都市立美術館で「院展」と、「表面の意思」という企画展。企画展はけっこう面白かった。日本の展覧会は、安易に人を呼べる欧州の著名画家ものに偏りがちで、企画力が云々とはよく言われているわけで、確かにルーブル美術館展はすさまじい数が吸い込まれてゆく隣で、「表面の意思」展はがらがら。あの、今日で終わりなんだよう?と横目で見つつ、ゆったりと眺められて良かった。
 これは絵画や立体作品を構成する要素を見つめ直すといった意図の企画らしく、ルネッサンスの「絵画は窓である」という思想に繋がる系譜、つまりは窓からその風景を覗いているかのような、正しい遠近法や精緻な構成に始まり、印象派以降の、画家の意思の痕跡を残すものへと移行し、抽象画、立体コラージュ、その他もろもろもろ、すべて日本人の作品。
 そうして、ギャラリーを5,6見て周り、四条河原町に戻って、高島屋で開催中の「人間国宝」に滑り込んで、本日はこれにて終了。国の宝にもなる人間の生み出すものは、さすがにすごく説得力がある。なんていうか、凄い以外にいいようがないの。日本伝統工芸展って、政治力やらコネやらと日展とそうは変わらぬ黒い噂もあるけれど、でもそんなものだけではこんなレベルにはなれないと思う。VTRで幾人かの国宝の紹介をしていて、「デザインはなぁ、こればっかりは卒業がありませんから。一生修行です」と、もう90にもなろうかという方がしみじみといっていたのが印象的だった。
 それにしても、今日ほど市バスの一日乗車券が活躍してくれた日はありませんでした。ビールで乾杯しつつ、相当疲れた。もう、もう、頭も疲れた。食傷気味になるほど見回っちゃいけないなと思った日。身も心も疲れた。