無条件の母性なんて幻想でしょうが

mxoxnxixcxa2006-07-06

 こんばんは感覚や感性という言葉を信じませんもにかです。浮世の純粋を信じません。無垢という言葉を嫌悪します。
 どうして無条件に赤子を見れば、女子はきゃわゆういと叫んでめろめろになるに違いないと思われるのだろう。非常に心外です。押し付けです。戸惑いを感じます。セクハラです。赤子はさほど好きではありません。憎むほど嫌いでもありません。単に得体が知れないので恐いです。
 赤ちゃんがどれだけ可愛いかで盛り上がる話題に乗り切れず、子供嫌いな女なんて…という目で見られるのは納得がいかない。女なら赤ちゃんを前にすれば条件反射で抱きたくなると思われても、ただただ困るんである。まず赤ちゃんは暖かい水袋のようで、ぽしゃぽしゃいていて抱いていると恐い。ちょっと何かすればぐしゃっと潰れそうだし、関節が変な方向に曲がって取れてしまいそうだし、首がぐらぐらしている時点で、生物的に恐い。頭の頂上がぺこぺこ凹む時点で、生理学的に逸脱してる。
 それは、通常サイズよりもミニチュアなものは何でも可愛らしいし、そういう点では可愛いと思うし、あかちゃんがにたにた笑ってこちらを見ていると軽く胸きゅんしなくもないけれど、ああ触りたい抱きたい乳を与えて育みたいと思わなければ、母性の欠落した駄目女とラベルを貼られるいわれはないのよ。なめんな。
赤ちゃんは穢れのない存在だ。無垢で純粋だ」という意見に意見したいの。新生児微笑、あれ。かまってもらわなければ死んでしまうから、天使の笑顔で微笑んで注意を引き、あれやらこれやらの世話をしてもらうように仕向けるというあれ。そういう本能レベルのしたたかさがいかにも人間的で愛せるけれど、おっさんらは何故に母性神話が好きなのか。浮世の純粋なんて信じない。生れ落ちた時点で、人間みなある程度計算高いでしょうが。人間に用いる際の「純粋」という言葉が嫌いです。汚れを引き受けろと。赤子に託すんじゃない。
 知的障害者を天使という人がいる。アウトサイダーアートと見下したラベルを貼って、ああ純粋だ、ああ直向だ、私たちの持ち得ない美しさがあるとやおら持ち上げたりする。そういった安易な評価がクソむかつく。じゃあ何かしら、苦しんで制作している人間はインサイダーアートか?正当に作品を評価することを放棄して純粋だなんだと曖昧な観念で、とっちらかったものまで持ち上げるなと。純粋というラベリングを嫌悪します。ラベルを貼る側を。
 でもそんなことはどうでもいいの。だから、赤ん坊を可愛いと思わないなんて女失格だ。なんて、ふやけたことを抜かす古めかしい男に限って、巨乳が好きなんだろう?女子高生が好きなんだろう?ママの乳が懐かしいんだろう?おっさん