『ワンダフルライフ』

mxoxnxixcxa2006-03-22

 人が生きることなんかくだらない。人生なんて取るに足らぬもの。平均寿命まで後○○年も残ってんのか、もううんざりさ。ああ面倒だ明日こそ起きるもんか一日中眠ってやる。そんな考えにはまり込んで、強烈な空しさに添い寝をされたりした時には、黙って起き上がり、日本酒でも飲みながらこいつを鑑賞したら良いと思います。焼酎じゃダメ。日本酒派です。
 是枝裕和の静謐な眼差しがすごくいいんである。映画は古い建物に様々な人が入ってくる映像から始まる。受付を通り、多くの人と待合室で待たされ、面接室に通される。名前を確認され穏やかに挨拶をされる。「あなたはお亡くなりになりました。ご愁傷様です」 言われた側の老婆は微笑んでお辞儀を返す。その様子があまりにも柔らかくて自然で、この作品に流れる静かなテンポに一気に引き込まれるよ。

ワンダフルライフ [DVD]「あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んで下さい。いつを選びますか?」
その問いかけに人々は自分の人生を振り返り、悩み、後悔し、思い出に浸る…。
この映画はそんな状況に置かれた死者たちとその選択を手助けする人々の物語です。

 この言葉に言い尽くされるので、細かな内容は公式で読むといいなと思います。舞台は人が死んだ後に1週間留まる場所。ここで人々は人生で残したい思い出をひとつだけ選択し、その思い出のシーンを再現して映像に収めて、それだけを持って次の場所へと旅立って行く。粗筋も主な内容もたったそれだけなのに、何年かに一度思い出して観たくなる映画。
 この映画の特徴は、台本を俳優が演じているシーンと、一般人が自身の思い出を語るシーンとを混在させて、ひとつのドキュメンタリー的な物語の中で同居させているところ。死者たちの語る思い出は、フィクションとノンフィクションが境界なく扱われ、各々の死者は大切な記憶を淡々と語る。そもは映画は計算された本気の嘘。練り上げた嘘だからこそ時として真実に触れることが出来る。しかしながらこの作品においては、フィクションはノンフィクションの前で霞んでしまうんである。
 天邪鬼女子一匹が胸倉をつかまれて五臓の辺りをこう、ぎゅっとされたような気になるのは、取るに足らないありふれた人たち、歴史に名を残すこともなく、何をやり遂げたというでもなく、生まれて死ぬまで眩しいスポットライトを浴びることもなく、ごく普通に生きて平々凡々の枠に埋没して終えた人たちの語る、たった一つの思い出がもう本当に美しくて美しくて美しいから。一人の老婆が、死んだといわれていた恋人と橋の上で再会した瞬間のことを話す。本当に嬉しかった、生きていると信じてたから。「若かったからね」と微笑む顔は何て美しいのだ。一人の中年女性は、出産のときのことを話す。すごくつらくてきついのに、生まれた瞬間に全部忘れて次の子のことを考えたと言う時、ああ存在って何て尊いんだろうと素直に思える。
 そうしてこの映画は、無言のシーンこそが胸に響くんである。一つはパイロットになりたかった男性が、訓練飛行の時に雲を切って進むその視界を残したいと言い、やれ機体がどうだといいながら、黙って微笑んで飛行機と雲を眺める顔。二つは眼鏡の中年男性が、中学校からの帰り、路面電車で窓からの風に当たりながら黄昏の日を浴びていた時、あの頃は好きな子がいて…と言う。そのおやじが再現された電車に座って見せる表情。三つは、大好きな兄と赤い靴の思い出を語るおばあさんが、女の子に踊りを教えているときの顔。ああ人間は失った大切なものを想う時、こんな顔をするんだ…。どんな名優でも絶対にできない表情を浮かべるんである。この3シーンを見ると、なんでか目から水が出てくるので驚くよ。人生は人生はワンダフルだ。それでよろしいじゃないかと思える。
 だから監督是枝裕和の静謐な眼差しがすごくいいの。最近亡くなった原ひさこおばあちゃんが、最後のほうで寺島進に袋を差し出すシーンがあるんだけれど、その中の桜の花びらを見た時にみせる寺島進の表情もまたすごくいい。ARATA内藤剛志もすごくいい。
 何者にもならず、小さく無名のままに人生を終えたとしても、それでもそんな些細な存在のささやかな人生にだって確かに大切な一瞬があり、その一瞬さえあれば人生そのすべてを肯定したっていい。私にとってこの映画はそんな風に生を全肯定させてくれ、見終った後には何かもう、すべてを肯定して良いような気になれる。たとえ何がどうであれ、多少の何か苦痛や悩みがあろうとも、生きることは正しいし、生は肯定されていい。ああたとえ浮世が薄汚れて醜いものに満ち満ちていたって、それでも人の人生は素晴らしいのだワンダフル!ビューティフル!だから桜が咲く頃にこの映画を観て、リセットしたらいいんだと思う。
 死者の中には、自殺だろうなという設定の者もいて、そういう死者だってこの映画は裁いたりしない。むしろ神様も罰も極楽の風景もないこの一時滞在所のようなところは、とても東洋的な死生観に基づいたものだなと思う。生の延長線上に死があり、その次の場所がある。浮世もまたひとつの通過点でしかないという発想は、たとえばこの映画をハリウッドが「After life」でリメイクしようというその発想に、何か西洋的な思想の届かない、なんだろうな確かに死後のことなんだけれど、死によって分断されることなく生を照射するという発想がイイんであって、ハリウッドリメイクなんて!
 何をどう語ろうとも語りつくせぬものがあるので、勢い一発思いつくことを並べてみたら、おお長々長。そうして私は移住に際してすごくやることが多いので、しばらくもなかとお別れなのでした。こういうときはプライベートモードとかにするんでしょうか。その内するかも知れないですが、桜が散った頃か、喰えぬさくらんぼもどきの実をつける頃までアデュ。どうもありがとうございました。