『イケズの構造』に打ちのめされる

 そんなこんなで4月からの新住居も押さえて、契約もつつがなく終えそうだという段階に至り、まあ乙女1匹の住処、フローリングとBSがあることと光ケーブルと非北向きは譲れない。そんなお部屋はオートロックと風呂トイレはセパレーツが付いてきた。しかし京都。みなが口を揃えて言うのは「京都にだけは住みたくない」 「京都、あそこは大変だよ本当に」。
 腹の中と口が真逆になっている京都人。はんなりした笑顔で、冷水を浴びせかけるようなことを言うこともあるという京都人。出す気もないコーヒーを、「もにかはん、コーヒーのまはります?」と訊いてくださる京都人。「あ、はい」と言ってしまった愚か者の前だけに、砂糖もミルクもなくブラックコーヒーをことりと置き、「ささ、飲んでおくれやす」「まあ、コーヒー飲んでくださいよ」と勧めて、「あんたはんの受け答えは間違っておりましたえ」と、顔と口だけ優しく教えてくださる京都人。それでも、私の失敗はそんなものだと思っていたのは、愚かだった。
イケズの構造 京都市内の細かな地図が欲しいなと思って、四条河原町ジュンク堂に立ち寄り、ポケットサイズの非観光マップ型マップに手を伸ばしたその視界に飛び込んできたのが、この一冊。「よそさん必読!」とある表紙帯の裏に、それはありました。「コーヒーのまはります?」 うわぁ!こここれ言われたよ!どうしてもどうしてもこの本は読まなきゃいけないよ。脳内小人がそう叫んだので、その晩一気に読みきりましたビジネスホテルの暖かな部屋で。
 恐い…京都人怖い…。軽快でテンポの良い文章でずんずん読めてしまうものの、ちょっともうショックのオンパレードで、何度か気を失いそうになりました。私は某問屋の若主人様に対する態度や受け答えのその殆どは間違っていたんだ…。
ま、上がってください」と言われて、「それではお邪魔します」これは間違い。笑顔を浮かべて何が何でも玄関先にへばりつき、「いえいえ、お忙しいところ、お時間をとらせるのもあれですから、私はもうここで結構です。いえいえ遠慮なんかしていません本当にここでいいのです」と言い張るべきだったのだ。コーヒー以前の話なのだああ愚かだった。
 ものすごい親切な申し出をありがたく全て受けたけれど、私は一度ならず二度も三度も遠慮して若様の本意を推し量るべきだった。京都人は本当のことなんて容易く言わぬのだ。京都人に褒められたらそれは「あんたはんはたいしたことあらへん」ということらしい。私は褒められたっけ、それすら思い出せない。「ガッツと度胸がありますから、応援させていただきますわ」は、「あんたはんは、厚顔無恥でいけ図々しいやつだこの田舎モン」ということだろうか。もうだめだ死にたい京都なんか行きたくない怖い何も信じられない。しかも京都人は、一度の失敗でアウト。「あちらさんは、どうも私らなんかとは住む世界が違う方みたいでしたわ」で切られてしまう。若かった・知らなかったは通らぬ雅な古都。
 よく何かそこのお店からあれこれ購入したことがあると、DMとか年賀状が送られてきて、お客であるこちらなんかは別に年賀状を返信したりはしない。そう思って、私は年賀状の返信をしなかったばかりか、まあ問屋様には卑小なる私が転居するなんて関係ないだろうと思って、何のお知らせもしていない。私がすべきことは、転居のご挨拶に失礼をわびる言葉を添えて送り、引越しの際には玄関先で菓子折りを差し出して「ちょっとそこまで来たものですから、ご挨拶と思いまして。いえいえい玄関で結構です。よろしくお言付けください」といってそうそうに切り上げて去ろう。修復のラストチャンスだと思いながら、そもそも修復って、シンプルな売る側・買う側では本当にないのだろうか。
 京都はコネで動くところ。この問屋様もコネで紹介してもらい、若様のコネで何やらを購入する際にはお力添えをいただいた。私は私は、物も知らない愚かで無粋で野暮な常識知らずだった。どうしよう。もう何もかもにどう対処してよいのか、住む前からわからなくなってきた。そんな恐ろしい本だった。京都に住み着く予定のない人には、本当に面白いイケズ分析本だと思います。シェイクスピアの京都弁訳や、紫式部に見るイケズスピリッツなんかはまさに珠玉の面白さなのだと思います。私は途方に暮れました。3ヵ月後くらいには心を病んでいるのかもしれません。