『ロード・オブ・ウォー / LOAD OF WAR』

 幻の核戦争に備えての、兵器の備蓄合戦が皮肉にも世界の均衡を保っていた冷戦時代の終結から、パワーバランスが崩れて以降の世界について、ハンチントンの『文明の衝突』なんかが描いていた世界の姿そのままに突き進んでいるといわれて久しいこの世界。いや、ハンチントン論文そのものがアメリカの軍事企画書だったんじゃ?なんていう人までいて、軍需産業の闇の深さは、かつて教養でかじっただけなどいう人間にとっても、世界の闇部分という得体の知れぬ響きは、何やら小説か映画のような好奇心をがんがん掻き立てる。止まぬ各地の紛争やら、強引なるアフガン攻撃やら、イラクへの突撃やらなにやら。一体ナニが隠れているの?その白と黒の間、灰色の世界で泳ぐ人物を主人公にした映画。
 えらくドス黒く重くなりそうな話なのに説教くささがなく、淡々とした一定のテンポと軽快な切り口なのですごく面白かった。硬派でがちごちやられるよりも軽妙洒脱。グレーなものはグレーのまま、ところどころに皮肉たっぷりのユーモアをちりばめつつの2時間。あっという間だった。
 主人公ユーリー・オルロフは、実在の5人の武器ディーラーを融合して出来上がった人物なんだそう。ニコラス・ケイジがなんといっても抜群の演技力をみせつけ、この悪魔を一人の血の通った人間として、楽天的な弱さと冷酷さが混在するどこか魅力的な人物にしていた。やり手のあきんどなら、人間的魅力はあるに違いないのだ。ハリウッドにありがちな、紋切り型の誰が見たって悪の権化みたいな人間が、世界を動かすほどの商売なんて出来ない。ケイジはさすがだった。いつも困ったなぁという情けない顔で、ああもう大好き。ブライアン・ワーナーのすっぴんを見れば、ケイジを思い出すよ。
 最後のほうで、逮捕されたユーリーと、彼をずっと追い続けてきたインターポール(国際刑事警察機構)のイーサン・ホークとの尋問室での会話シーンは秀逸だった。妻子に去られ、相棒である弟を失くし、親にも絶縁され、失うものも守るものも全てなくしたユーリーが、ここで本物の化け物に静かに生まれ変わる。このシーンが最大の皮肉で、一番の見せ場だったと思う。法を遵守し、正義を心から信じて、執拗なまでにユーリーを追い続けてきたインターポールが、正義は暗部を覆い隠すための表層でしかないことを知る。何もかもがナッシングなのだ。逮捕の理由によって釈放される理不尽がある。
 ユーリーの取引相手は、アメリカがこき使った奴隷を連れて行って、「さあお前達は自由ですよ」といって出来上がった、アフリカの国との関係を主に描いていた。けれども紛争地域や戦力備蓄に走る国とのパイプを持っている武器ディーラーなら、各国の諜報員と、その後ろの国家との繋がりもあるはずというなれば、各国政府との関係にももっと突っ込んで欲しかったような気がするのは欲張りなのかも。最後にチラッと核心に触れるかのような形で出て来る、世を突き動かす超大国。「最大の顧客は合衆国大統領だ」。んなこと分かってるよ…ということを念押しされ、なんだこの虚脱感。世界って本当に救いようのないところなんだ…空しい。
 この映画はイラク攻撃間近に脚本があがったために資金繰りに困難が生じ、結果アメリカ資本は一切なしなんだそう。その上に、監督アンドリュー・ニコルは、武器商人に直に接触し、CGかと思うくらいにずらーっと並んでいた戦車や銃は本物の武器商人から借りたものらしかった。本物のほうがイミテーションを用意するよりも安くつくのだそうだ。ああ世の中って。すごい…。
「言葉どおり、ちゃんと戦争しろよな」 こんな言葉にくすっとさせられ、なんだかもう、反戦平和運動も援助も復興支援も無理無駄。何もかも何の意味もないんだ…厭世感いっぱい。無言のまま姉妹で劇場を後にした正月早々の日。ああ世界はなんて矛盾に満ちているのだ。もっと注目されてもよさそうな、意義ある映画だと思う