京都の宇治市のボクちゃん

mxoxnxixcxa2005-12-13

 はじめてこの話を見かけた時は、23歳の塾講師と塾生12歳が、「日ごろからそりが合わなかった」って、なんかおかしいな、そりを合わせるものか?教える・教えられる構図に関係あるか?と首をかしげたのだった。

  • 「恨みを持っていた」
  • 「キモいといわれ、その言葉が消えなかった」
  • 「この子を消さなきゃ、自分がつぶれると思った」
  • 「この子を殺せば、苦しみから解放されると思った」
  • 「この子がいなくならないと、生きていけないと思った」

 短絡的なボクちゃんは世界が狭すぎた。思考のふり幅が狭すぎ。ボクちゃんの世界には、ヤルかヤラレルかしかないのかと思うと、23にもなって幼すぎる。塾長に指導されて父親に「怒られた!」と訴えるこの幼さといったら。ボクちゃんが思いつめたのは、真面目さゆえの柔軟さの欠如じゃない。単に幼稚なのだ。勝手にボクワールドで煮詰まって、勝手にビッグバン。
 12歳の女子なんていうのは、80年余の女人生の中でも最も生意気な盛りだと思う。大人の男なんて、殆どはキモいし汚く見える。受け流せないのなら、とんちを使えば良いのだ。「キミの顔も相当ダサいね。大人になったら苦労するよ」とか笑って言われたら、12歳の少女は一生忘れられないくらいのダメージを負うような生き物。まあ塾の講師ならそんなこと言うべきではないし、塾生はお客様だと思えば、倍返しの痛い目を見るのかも。しかし傷ついた自尊心を癒すためには殺すしかないなんて、バカ?少女と対等になってどうするのだ。この尊大な尊大な自尊心は、女子供に小バカにされるだなんて、受容しがたい屈辱だったのだろうか。女子供である私には分からぬ話。
 この事件でふと思い出したのは、昨年の長崎の12歳の少女が友人の少女12歳を、教室に呼び出してめった刺しにして殺した事件だった。邪魔者の抹消程度の動機しかなく、抹消の対象は生き物であるという感覚が欠如した、極めて自分勝手な世界で生きているような感じ。あの子と今回の塾講師のメンタリティは大差ないような気がする。このボクちゃんの起こした事件が、ほかの少女や女性を標的とした犯行と何となく違った感じがするのは、ある生き物に死を与えるという行為に、排除という意味合いしか見当たらないからかもしれない。むかつくヤツをスイッチポン。
 世の中は思うとおりにならないことの方が多いのだ。必ずしも欲しい玩具をもらえるわけじゃない。好きな子が振り向いてくれるわけじゃない。自分を認めろと叫んで認めてもらえるわけじゃない。ボクを愛せと脅して愛されるわけでもない。教室の王様が塾生みんなに好かれるわけじゃない。ボランティアじゃなく金を貰っているのだ。笑って流せよ。無理なら仕事をやめればいいのだ。同情の余地なんてない。
 妙な自己愛の強い男って結構いるわよねと思ったそんな事件。それと、なんだかだんだん「キモい」が何なのか分からなくなってきた。もしかしてこれは、本来の「気持ちが悪い」からさらに発展して、すでに放送禁止用語くらいの意味合いになってきているのかもしれなくて、もう、本当に良く分からなくなってきた。
 このボクちゃんは日頃から「前の席に唾が飛ぶくらいにでかい声」で話し、ほかの女の子にも「今度デートしよう」とストーカー行為。確かにキモいな…。雇い主側の質の問題だろうが、言葉遣いのなっていないガキに「人を傷つけるような言葉を言うべきではありません。どうしてだと思う?」と言えるような人間を雇うべきなんだろうけれど、それを見抜くのって難しい。