大阪でスティングを鼻歌。「NYの英国人」を。

mxoxnxixcxa2005-09-21

 例えば始めて東京に降り立った人が、溢れかえる人ごみの都会にたたずんで、右も左も分からず途方に暮れた心持になるという話は聞いても、あまりぴんとこなかった。けれどもそれを大阪という大都会に立ちすくんで体験した。
 一体この広い都会は、何処のあたりがどういう街で、何処にどんな人が集まり、どこら辺がどんな構造になっているのだろうと、右も左も前も後ろも分からぬ都市で、ふと、私は誰なんだっけみたような哲学的な疑問を感じそうになった。広い広い駅構内で、一体自分は何処を歩いているのでしょうか。私は今何処にいるんでありましょうか。私は誰で、何をしているんでしょう。これから何処へ向かってゆくのだろう。そうして、なんとなれば私は私というイデアである。みたような穴に陥りそうになるほどに、見知らぬ広い大きな都会は広くて大きそうだった。不安だった。
 エスカレーターの左側でぼんやりしていてふと、ここは大阪。西の都。関西の一大都市。エスカレーターマナーは逆なんだったと気がついて駅の壁面をみれば、「気ぃつけや、あんたのことやで、そのバッグ」 そのちょっとした言い回しが、なんだかとても嬉しかった。