痩せでまた自分語り

mxoxnxixcxa2005-07-23

宮地真緒+拒食症」というのがけっこう細々とリンク元に表示され続けているんだけれど、ここ数日異様な数字。なぜ?
 宮地真緒のピーターパン仕様の画像を見かけたけれど、二の腕の骨っぷりを鑑みても、恐らく当事者なんじゃなかろうか。
 かつて過剰な痩せ願望に振り回された経験はあっても、拒食症に成るまで痩せを極めたわけじゃないゆえに私の雑記なんて所詮外野の感慨でしかないんだけれど、体重に日々を乗っ取られる行き場のなさは、なんとなく分かる。水を大量に飲んで胃の中身を全部吐き出した後の、妙に満ち足りた気分とか、体重計に乗って一寸でも減っていたときの高揚感とか、大げさな自己嫌悪とか。遠い昔のことだ。
 高校の頃、ギャルぶることに疲れ果て、何故に無理してギャルったかというと、ダサいと言われるのが嫌な主体性のない女子だったからで、ちやほやされても根っこが自分をゴミだと思っているので、自信を持つには容姿を磨くことしか思いつかず、ある日目標を36キロに設定してスイッチを入れたんだった。何にも思うように出来ないんだもの。勉強したって両親には勝てない。習っていたバレエだって結局骨格。骨は変えられないけれど、体重はもっともっと落とせるはず。
 周囲は心配していたけれど、目標体重に成れぬ敗北感しか感じなかった。怒られてもたしなめられても、何を言われても邪魔すんな。恋人も居たけれど、どうでもよかった。だからたぶん、その人のこともすごく傷つけたんだと思う。優しくて、すごく好かれている自覚もあったのに、腫れ物に触るような態度がむかついてしょうがなかった。平気だって言ってるじゃんとか言って。彼は心配していただけだったろう。そういうどうでもいいことを思い出す。
 何でこんなに浮世は侭ならないんだろう自力で何とか出来るのは体重くらい。痩せが病的な欲求になると、視野が極端に狭くなってしまう。人を傷つけても無視しても、自分しか目に入らない。
 理由も状況も人それぞれ。でも痩せることに他のものまで期待しちゃうと、どつぼにはまってしまうのだ。いくら痩せたって自分の価値は上がらない。もっともっとと思ううちに鏡の中の自分が見えなくなって、肉っけのあら探しになってしまう。目先の体重を気にしていれば煩わしい諸々の悩みも薄れるけれど、数時間刻みで体重を気にしているんじゃ今度は体重に頭を支配されて、これではまるで意味がない。
 理想の自分なんて幻なのだ。生き辛さは体重の増減じゃ埋まらない。髪の毛は抜けるし歯は弱るし、倒れるし、肌も荒れるし、最終的には骨がスカスカになって内臓がやられて心臓に負担が行って、長生きできない。こんな世知辛い此岸で長生きなんてしたくないような気もするけれど、迷惑かけたまま死んだら天国いけないかもよ。
 乳児の離乳食からでもいいから食べたらいいよ。食欲は罪悪なんかじゃないし、贅肉は汚物じゃない。