境界例の彼女たち

 キリストも言ってました。「真に罪無き者だけが、この者に石を投げよ」って。昨日書いたような困った病んだ子ちゃん達を見ているときに感じる不快感は、多分自分の中にもこういう傾向が少なからずあるからなのかも知れない。でも自分にしか興味がない姿勢が間違いだってことを、みんなは分かってる。ボーダーちゃんお前だけヒロインですか。
 何もかも全部他人の所為にしたい。だって自分が可愛いもん。抜き差しならぬ事態にはまり込んだとき、出来ない理由を並べて座り込んでじっとしていたい。だってその方が楽チンだもん。でもでも、いつかは立ち上がりスカートの埃を払って、なんとかせんければいかんわけ。発展性がないから。自力で頭を働かせなきゃどもならぬ。
 私も妖怪ハハオヤには一物あります。でもしょうがないものはしょうがないと、ある時点で折り合いをつけなければ進めなくなる時期が来る。常に良い子を演じてきた我がインテリ母。私はかくあるべき娘には成れなかったし、成らなかった。母と名が付けば無条件で強靭かつ完璧なわけがない。
 ママ、ママ、ママという怪物にどうしてそこまでこだわるのだボーダーちゃん。ユーとママは別の生き物なんですよ。「ママは酷かった。可愛がってくれなかった。抱きしめて欲しかったのに寂しいよ」
 得られなかったものを与えてくれなかった人にいつまでも求め続けるなんて虚しい。ママは酷かったと思うなら、なればそのしょうもないママを頭の中で踏みつけにして強くなり、悲しい期待なんて捨てちゃえばいいのだ。
 こいつは母としては失格だった。だめな女だ可哀想な女だと思えば許せる。そうしたらママの弱さが見えてくる。攻撃しあったってしょうがない。母性以外の面に目を向ければ、意外と魅力的な人だったりもする。可愛い人だったりもする。愛情表現の仕方が、私の望んでいた形じゃなかっただけ。しょうがないものはそのまま受け入れるってことを学べばいいのだ反面教師を通じて。
 なんでこんなことだらだら書いているんだろう。自分に言い聞かせて確認しているんだった。