フィリピンで

 でも本当は、こんなドラマで云々どころじゃなく、最後の軍人など言っている場合じゃない。フィリピンの旧日本兵でニュースは持ちきり。
 小野田寛郎少尉の話は触りだけは知っていたけれども、想像するにつけ切なすぎる事実を知る。今日ニュースで見たけれど、「一番辛かったことは?」と聞かれ「戦友を亡くしたことです」と痩せ細った小野田さん。
 日本が負けたことも知らずに、仲間もみんな死んで、戦後30年も孤独に戦時体制でサバイバル生活を続けてきて、実はもう戦争は終わったんですよ日本は負けたんです今はとても裕福なんですよといきなり知らされたとき、一体どんな気持ちがしただろう。様変わりした祖国を見たとき、どんなことを考えたのだろう。説得と帰国まで1,2週間かかったとあるけれど。30年も正気を保っていられたなんて、本当に強靭な人だと思う。
 戦争を体験した私の両祖父はもう他界。将校か何かだった父方の祖父などは、しょっちゅう旧ビルマに行っては部下の骨の代わりに石などを持ち帰り、遺族に渡していたらしい。ミャンマーの留学生を援助したりもしていた。戦争映画は一切見なかったと祖母は言う。生きていれば90歳ちょいくらいだ。陽気な人だった記憶があるけれども、たぶん口には出さない何かをたくさん抱えていたんだろうと思う。
 母方の祖父も、捕虜になった日々や死んでいった友人のことを短歌などでたくさん書き残した。死に麻痺していく自分が悲しかったという随筆が、何かの冊子に載っていた。
 今話題の旧日本兵も85と87歳とのこと。孤独に戦争を続けていた小野田さんや横井さんなんかとは少しく違うのかもしれないけれども、もう余生は本当に僅か。切ないなあ。残された時間を幸せにすごして欲しいなあと思いながらテレビを眺めた。
 
と思って祖母に問い合わせてみたところ、祖父は中尉だったという話だった。そうだよね大卒で職業軍人のはずはない。ミャンマーに行っては慰霊碑を建てたりしていたらしい。