顎関節症と私①

 これと暮らしてもうかれこれ1年半か2年になる。最近増えている現代病らしいけれども、私の周囲、たかが知れたる数の人々の間では未だお目にかかれたことがない。出会ってみたいよ「あ、あなたも口が開かないんですか」なんていって感動の対面をし、泣きながら抱き合ったりしたい。うそ。
 どんなレベルがあるのか知らない。私の場合は縦に指が2本分くらいが開く上限。齧り付いて食べることは難しく、限度以上に口を開けたり硬いものを噛むと、ぴきっと痛みが走るが、それ以外は別段生活上の不便は感じないし、多分見た目には普通の人。
 こんな症状に飽き飽きして、検索で色々と調べてみたことがある。あるページで見た文章に心底怯えた。顎関節症は現代病のひとつ。最悪な場合は精神に異常をきたし、寝たきりになる。もしくは死に至るほどの深刻な症状を引き起こすこともある」。思わず椅子の上で膝を抱え、小さくなった。どどどどうしよう。放っときゃ直るだろうくらいに考えていた私は縮み上がった。その長い長い長い文章を、最初から必死で読んだ。
 曰く、最初に行った歯医者が「それは噛み合わせの問題ですから」とかなんとか言って、歯を削り、盛り上げ、削り盛り上げを繰り返すも、顎は痛むし頭は痛いしで、仕事もしたくないし、日々の雑事も気が入らぬ。歯はどんどんがたがたになっていくし、性格もどんどん暗くなっていく。歩行も困難になり、まっすぐ立ってもいられない。日々鬱々が深まるばかりなのに、歯医者は歯を削るばかりで一向に良くなる兆しが見えない。もうだめだ。こんな思いを抱えたまま生きていかれない。その人はそう思った。
 キルケゴールが言っていた。「絶望は死に至る病」。そうか私もやがて顎関節症を抱える人生に絶望し、健康な顎に憧れながら死を選ぶ日が来るのだ。悲しいな。そう思ってしょんぼりした。まだ若いのに。まだ何もしてないのに死ぬんだ。涙で曇ったPCの画面を切なく眺める。長い長い長い文章は、まだまだ続く。
「もう駄目だ、歯医者を変えよう」。その人はそう思い立ち、次なる歯医者へ。その医者は何やら噛み合わせ調整歯固めを作ってくれたそう。するとたちまち顎の痛みは軽減し、気分も明るくなってきた。頭痛も肩こりも解消。ご飯も美味しいし、顔の形もシンメトリーに近づいてきた。半分寝たきりの人生になっていたのが、体力回復の兆し。人生ってこんなに光が差込むものだったんだ!その人は新しく生まれ直したかのような気分に。顎のおかげで。
 目から鱗が落ちた。そうか私の慢性肩こりも、乱視の入った近視も、胃下垂気味なのも、たまの頭痛も、飽きっぽい性格も、ハンドルを握ると悪態ばかりが口から出てくるのも、母も妹も巨乳なのに私だけ貧乳なのも、財布が寂しいのも足の親指が巻き爪なのも、全部全部この忌々しいアゴの所為だったのか。そう思うと、この顎関節症もとたん便利な愛しいものに思えてきて。