ある名もない陶芸家のこと

 何だか微妙に気が塞ぐのは、寒さの所為。関西に溶け込め切れていないから、なんていうのは幻。ノリにのり切れないで疲れてきたのは勘違い。寂しいのは気のせい。孤独なのは思い違い。先行きに不安ばかり募るのは冬だから。将来に焦りしか感じないのはあと数年で三十路だから。意味も根拠もなく途方にくれているのは、先日ある人の個展に行った際に、ギャラリーの1コーナーを見てしまった所為。
 そんな前フリをして、ああ人生は空しいな、厳しいな。と思ったのは、先に書いたようにあるギャラリーで、とある陶芸家のことを知ったからなんだった。そのギャラリーは、京都に200はあるというギャラリーの中でも、古都唯一の繁華区域にある多少有名なところで、そこで個展をした経験のある作家や、京都で活躍している作家や、有望だなとオーナーが思った作家などに小さなコーナーを設けて作品を展示販売もしているところなんである。
 そこをなんとなく眺めていたおり、黒いリボンと一枚のA4用紙が置かれたコーナーがあった。紙には、“某という40代の男性陶芸家が、某月某日アトリエで死亡しているのを発見した、身近にいながら彼の病に気づかなかったことを心から悔やんでいる。葬儀は家族で密葬にてすませた。そこで、某日に彼を偲ぶ会を行いたいと思う” という内容が書かれていた。
 その文面と、彼の作品2点を見比べた。作家活動をすると意気込んで就職はせずに、いくらかの作品を作り続けて、定期的に地味に個展でもしてきたのかは知らない。40代になって、彼は絶望したのだと思う。自分自身になのか、いつまでたっても一角の者になれない状況になのか、それとも将来になのかは知らないけれど。少なくともいえるのは、彼の作品はしょうもないものだったということで、それが何よりも辛かった。何がしたいのか全く分からないモノ、美しさの追求でもなく、いびつな造形や雑然とした彩色に必然が感じられないモノ、きっと自分自身でさえ分からなくて、どうしていいか分からない混迷がそのまま出てしまっている、どうしようもないものだった。
 美大という、一般大学とは少しく異なった価値観が集まるお花畑以後の進路、まあファインアート専攻の場合だけども、就職、または進学(大学院や留学)というコースに加えてもうひとつ、作家活動という第3の道がある。これは進学以後にも繋がっていることなんだけれど、さらっと表面を撫でるように考えれば、いいよな、喰っていける程度にバイトをしつつ好きに絵でも描いて、もしくはその他ものづくりをして自己表現のことばかり考えて、それはそれで楽しい人生なんじゃねえの?という感じがする。だからというか、「作家活動は親の財力如何」という言葉もあるくらいなわけで。私もそう思っていたこともあるし、実際そういった面も大いにあるにはあるんだけれど、卒業後、5年後にも作家活動を続けていられるのは3割となり、その3年後にはさらに3割の中でも3割になり、年負うごとに減っていくというわけ。
 これは、「そろそろ地に足をつけて現実と向き合いなさい」=「夢を追うのはおよしなさい、もういい年なんだから十分でしょ」というのもあるんだけれど、それだけでもないのだろうと思う。「あいつはいいよな、親が金持ちだし」とか、「あいつのあのポジションは、政治力でしょ」とか、そういう羨望を含んだことを言う人もいるけれど、親に援助されようが政治力で上っていこうが、コンスタントに作品を作り続けることが出来るのは、相当なモチベーションがいるのだと思う。自分の中身からしか作品は出てこない。もう何もつくれない。もう何も思いつかない。これ以上己を覗き込んでも振っても叩いても、何も見当たらない。何がしたかったんだっけ。そういった内面のクライシスに、やってもやっても金にはならない、世間様には認められないとなれば、持続を支えるのは一定の強靭さしかないのではないかと思う。
 だから美大卒業者の多くは、4年間やったから今後は現実と向き合いつつ普通に就職しよう、そうして以後は作品性関係なしに、好きなものを好きに空き時間で趣味でやれば良いや。という進路を選ぶ人が多い。私は美大での制作でさえ、苦しくてしょうがなかった。作り上げるたびに、ここはこれでよかったのか、もっと何かあったんじゃないのかと考えるばかりで苦痛しかなかった私には、日々作品を作って暮らしている人の気持ちは理解しきれないかもしれないけれど、商業デザインの道をとることは逃げでもないし、存分に苦しいとは思うんだけれどそれは脇においても、ある時点でどんな道をとろうとターニングポイントがやってくる。その地点に身を置いているうちは気づかなくても、振り返ればあの地点が転換点だったのに、と悔やんでも立ち居地は変わらないし、現実とすり合わせていくしかないのだ。
 40代前半で、自分のアトリエで恐らく自死した彼は、修正のきかない人生で迷い込んで、なんとなく中年になって、何がやりたいのか進む方向も見失ったんじゃないのか。取り返しのつかない日々を悔やんで、立ち居地に絶望したのかもしれない。私は数日間、今でもだけれど彼の作品2点と、“アトリエで一人で死んでいた”という文面を思い出して、考え込んでしまう。彼には“成れの果て”という言葉があまりにもぴったりで、それが悲しくて辛いのだ。頑張りが評価に繋がるとは限らない。好きなだけでは現実を歩いていけない。好きでい続けることだって難しいのだ。超えられないもの、手に入らないものは沢山ある。“すっぱい葡萄”だらけ。全ての夢が叶うわけじゃない。