昔の親友

mxoxnxixcxa2006-02-12

 おい一口さんぜんえんって、世の中には金持ちが居るわねと少しくしんみりしているので、こんなことを思い出した。けっこう前、中学の頃の友人と二十歳以来、久方ぶりに会って新宿で散々お喋りして分かれた日。
 私は叩くともうもうと埃が舞い上がる不肖な女子ゆえに、痛い子ちゃんだった10代はなかったことにして生きているので、今現在年賀状のやり取り程度も含めてつながりがあるのは彼女、Aちゃんくらい。だからお互い年賀状で「今年こそは会いましょうね」「今年こそ会いたいね」なんて言い合うことで繋がっていたようなもので、居住地がかなり離れたこともあってなかなか会う機会もなく、タイミングも計れぬままに月日が流れて、久しぶりに再会を。
 私とAちゃんはかつて親友だったんであって、だからこそ会わなければ良かった気がしてしまったのだった。何年もたって再会して話すことといったら、過去のことくらいしかネタがなくて、互いがすでに過去の存在なんだっていうことを思い知ったような心持。共有できるものが余りに少なくて、当たり障りのない昔話ばかりなことに気がつかないフリをして大はしゃぎして、懐かしい思い出で盛り上がって食べて飲んで、じゃあといって軽くハグして別れた、そんな日だった。
 Aちゃんと私のやっていることは交差する部分がなく、興味のあることも大きくすれ違い、共通の趣味もなく、容姿にコンプレックスを持つAちゃんとは恋愛話も避けられ、ただただアイツは今カナダだとか、あの子は相当なデキる女になっただとか、あの人は結婚しただとか、地元を切った私にはもうどうでもいいことで、Aちゃんにとってもどうでもいいことで、どうでもいいことをネタに騒いで楽しかったけれど、空しい。
 10代の私は本当に、にっちもさっちもどっちにも行けぬ女子で、ダイエットに励みつつ日サロで小麦色になっていた10代なんて懐かしんで思い出すほどには、楽しいことばかりじゃない。みんなで悩みのないフリをしてバカ騒ぎしていたのだ。全力のバカだった10代なんてなかったことにしたいの。でもAちゃんは、どんどんバカになっていく私でも変わらず優しかった。そうして、バカにならずにずっと真面目だった。
 なんだ、あんなにお互いに会いたかったのに。こんなことならいつもまでもいつまでも、「会いたいね」「絶対会おうね」「今年こそ会おうよ」と、ずっと言い合っていれば良かったんだ。年賀状には、「お元気ですか、また会いたいですね」。でももう何か、会う理由がなくなってしまったような気がして、そこはかとなく寂しい悲しい気分。たぶんこうやって緩やかに、色々なものを終わったことにしていくんだ。私は何かが欠落しているのだろうか。人付き合いや思いやりや優しさとか云々が、何かを繋ぎ止めておけるだけの何かが。
 昔の友人は、過去の友達で現在進行形じゃない。きっとAちゃんも同じことを思ったと思う。仕方がないのかもしれないし、そうじゃないのかも知れないけれど、どうして胸躍るものばかりに囲まれて暮らしていけないんだろう。失くしていくばっかりの様な気がする。こうやって色んなものを取りこぼしていくのだ。Aちゃんとの繋がりがあろうがなかろうが、今の私の生活には何の関係も影響もなくて、こうやって知らぬ間に色々なことが擦り切れて終わってしまうというか、この先だってあれこれと知らぬ間に大事なものまで落としていくんだろうかと思い、胸の辺りがなにやらぎゅっと。