可愛い着せ替え人形も女になって泥試合

mxoxnxixcxa2005-12-05

 生っぽい話なんだけども、少女たる私が初潮をみたとき母は数日ものすごく機嫌が悪くて、何だか居心地が悪く罪悪感を覚えたのだった。
 母親なんていう生き物は、娘が色気を出して女になっていくことを、子供の成長として素直に喜べないようになっているんだろうなと思うことがある。女であること、女になること、女として生きることを全肯定していなければ、娘に成長しない少女を望んでしまうのかもしれない。世の母娘のどろどろした争いはこの辺にも根幹がありそうな気がする。
 でも大人になってしまえばその気持ちは分からないわけでもなく、確かに女になって体を覚えていくことは汚れていくことに違いなかったりする。やおらむちむちしてくる体は、少女っていう肉体性の希薄な存在から、性的な存在へ変化していく過程のカオスそのまま。戸惑いと憧れの間で揺れていて、ハイヒールが履きたくてお化粧がしたくて、内側から早く早く女になりたい!みたいな好奇心がむくむくむく。
 幼女と女の間の混沌とした短い期間。どうしようもなく愛しい。少女という少女は全員、そこで成長なんか止めていいのに。大きくなったってしょうがないんだから!女になれば浮世の諸々の理不尽を受け入れて行かなきゃいけない。願ったことは叶わないし、やりたいここと出来ることとやっていけることは違うんだと思い知らされるだけ。そんなこと知らないままでいい。いつまでもフェアリーでいて欲しいの。フリルまみれの空想世界で、大人の感知できない残酷で愛くるしい夢でも見ていればいいのだ。
 これは結局、世の年を喰った乙女たちの果たせなかった夢の話で、永遠の少女を一個人として存在している自分の子供に望むのは筋違い。所詮イメージの産物なんだから、理想の姿を生き物に投影するのは無理がある。実際の生身の少女はそう神々しい存在でもなく、喧しくてうざかったり小生意気だったり。それでも愛されて守られるべき。少女を傷つけた異常性愛者の変態は後悔のあまり泣きながら死んだらいい。どうしてあの時もっと違う態度をとって自分を守らなかったんだと、自分を許せないでいる人を知ってる。彼女は何も知らなかっただけなのに。