タリウムちゃんが気になる

mxoxnxixcxa2005-11-02

 タリウム女子高生の事件を観察。基本的に10代の女子はけっこう死のイメージを美化したり、薄ぼんやりと憧れたりする傾向はあるのだと思うんだけれど、この女子の場合はそういう系統から少しく外れた感があり、すごく気になる。なのでニュースやネット上でタリウムちゃんの日記を読んでみる。  こことか
http://www.yuko2ch.net/doku/glmugnshu.mht
 なんだ、ものすごく冷静な観察日記をつぶさにつけているのかと思ったらそうでもない。淡々としてはいるんだけれど、じっとり系のボク女だった。強烈な自意識が匂う文体からは、周囲に溶け込めないで、それ故にプライドを一層高くすることで自分の存在を保とうとしている女子が透けて見える。ものすごく孤独なんだなと思う一方で、やっぱり相当キモい。自分しか世界に存在しない奴は、他人が苦しむ様を見ても痛みは感じないんだと思うと凄まじいものがある。母親には愛情も憎しみもないみたいだけれど、それがないから冷静に被験者を観察できるのかも。タリウムちゃんは自意識の塊で、他者への共感能力がごっそり欠損している。
 10代の女子が母親と衝突するのは珍しいことではないし、殺してーな!みたいなことを考えるのも特種なことじゃない。私は引き出しからゴミ箱までチェックされる家庭内にのびのび身を置ける場所を見つけきれず結構荒んだ10代を送ったりもしたんだけれど、例えば、うちの親まじで死なないかな。ちゃりのブレーキでも切っとけば?いやうちの母ちゃり乗らないし。じゃあタバコの煮汁は?良いねそれはお手ごろよね。とか酔っ払って言い合っても、それは洒落半分で実行に移す気なんてさらさらない訳で、母親を憎みつつも同じくらいに愛着があるから。たぶんみんなそんな感じだったし、愛着に憎しみが勝ったとしても、実行との間にはかなりの距離がある。ましてタリウムちゃんには母親への思い入れは一切見当たらない。僕女の自己愛だけ。
グレアム・ヤング 毒殺日記 タリウムちゃんのこの非道な思考回路ってばどうなってんの?と思えば、なんだ単に愛し尊敬するアイドルの真似っ子をしただけに見えた。自分の存在がくだらないことを分かっていて、何か強力なものに己をなぞらえたかっただけじゃなかろうか。グレアム・ヤング、何かテレビ番組でみたことがあるような気がする。タリウム日記に酒鬼薔薇は好きではないとあったけれど、わざわざ書いてしまうあたりに強烈なライバル意識を感じた。自分もグレアム・ヤングのパクリなんだし、同種嫌悪でしかない。
 ただ珍しいのは、こういう、学校とか小さな社会の中で自分の存在価値を見出せないでいる女子って、自己愛を増幅させることで得られない愛情や関心を埋め、割とリストカットとか摂食障害とか、ある種の自傷行為に走るほうが多いと思うんだけれど、タリウムちゃんはまったくその気がなく、知識をがんがん吸収し、劇薬でパワーアップしようとするあたりがとても独創的。ネット上にリスカをちらつかせてボクポエ夢を書き綴る病んだ子ちゃんたちなんてごろごろいる中で奇特だと思う。だからこそこういう事件を起こすんだろうけれど。無罪で逃げようとしているのには、どんな意味があるんだろう。毒殺日記を読んでみたい。案外逮捕後の言動まで真似してたりして。
壊音 KAI‐ON (文春文庫) しかしどうしてシチュエーションに酔っ払うタイプの女子は一人称を「僕」にするのだ。最近めっきり読書してないんだけれど、篠原一なんかボク女の典型だった気がする。そこはかとなくやおいチックで、どう考えても村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』のパクリっぽかった。限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)話としては『コインロッカー』の方が面白かった気がする。とかくこの手のボク女桜井亜美とかあのへんに共通するセンチメンタルでうっとりとした感覚は苦手。
 そうだ。むしろボク女が僕になっている時、多分彼女たちの中で自分の姿は色白の美少年に想定されていて、例えば最近の少年のアイコンといえば柳楽優弥なわけで、きっと成熟途上の柳楽が美白されたイメージなのだと思う。
http://en.wikipedia.org/wiki/Graham_Young 映画化されてるんだ!