『ヒトラー 最期の12日間 』

 一昨日、帰りの時間まで一寸あったので、京都シネマというミニシアターで『ヒトラー 最期の12日間』を。
 ず…しーん… というのが、エンドロールが流れ出した会場の空気。誰も立たない。一人も立たない。
 カリスマと狂気は紙一重という姿は、ヒトラー神経症だったという有名なエピソードなどとあわせても納得の感じ。『ベルリン・天使の詩』で人間に恋をした天使が、ベルリンを舞台に人間の生を無視する錯乱した悪魔を演じているそれだけで、何ともいえぬ思いがする。
 けれどこの映画で印象深いのは、ヒトラー自身よりも、周りの上層部の人間像だった気もする。錯乱した独裁者と、目の前の敗北と、これと一時は信じたものへの複雑な思い。ドイツは間違っていたと薄々分かっていても、今更信念を捨てられない生身の人間の姿。なんだかどうしようもなく悲しく、寒気がした。
 ドイツではネオナチが台頭してきているとたまにニュース番組などで見かけるけれど、実際のドイツ人が言うにはそれほどでもなくて、ただ“ナチ”という名前が出るだけで注目が一気に集まるから話題になりやすいんだという話。最大のタブーだからこそ注目の的。結局近代史はヒトラーから目を離せないでいるんだ。なんて思ったりする。
 本物そっくりなブルーノ・ガンツはじめ、出演者はみな本当に演技達者で素晴らしかった。ユンゲ役の彼女の静謐なまなざしや、エヴァの意を決して、何もかも捨て去ったような笑顔、ゲッベルス夫人の逡巡を押し殺した顔。多くの将校たちや幹部の中で、女性たちの存在感も結構大きかった。『我が闘争』においては劣等民族でしかない日本人にしてみれば、この映画に対する感情的な賛否はあまり関係ないところから、完全な外野として眺めた。
黒い雨 デジタルニューマスター版 [DVD] けれど、日本の場合はどんなものになるんだろう。原爆の悲劇を扱ったものなら『黒い雨』なんかが有名だけれど、原爆が投下されるまで戦争を止めなかった政府はどうなるんだろう。そこを描いた日本映画はあるんだろうか。結局戦争って被害者も加害者も隣りあわせで、そこまでいくと難しすぎて分からない。
 ナチズムを美化しているとのイスラエルの評はちょっと違うなという印象。この映画のナチズムは、混迷した内部と、崩壊した秩序と、滑稽なまでに神経を病んだ独裁者を描き出していた。ホロコーストにあまり触れていないことについては、最期の日々に気に病むほど、あの虐殺を残酷な行為とは思っていなかったんだという風に受け取った。けれど、ホロコースト当事者にしてみれば受け取り方も違うんだろう。
 この独裁者の最後の生身の12日間を描くなら、ナチズムの熱狂とカリスマの演説シーンを入れても良かったんじゃないかと思う。そうすれば「国民はどうなるのか」との問いかけに、「国民が自分を選んだ。自業自得だ」と返す言葉の凄まじさが増すような気がする。でも演説シーンが入ると、もしかしたらこの映画の性質は変わってしまうんだろうか。それくらいにヒトラーは強力なタブーなのかもしれない。
 人も地元で行ったみたい。お年寄りが多かったといっていた。階段を杖をつきながら、お互いこんな年齢になっちゃってねーなんて話し込む多分初対面同士の老婆。若者相手に「戦争はしちゃだめなんだ」と言い聞かせている老人。その風景が印象的だったと言っていた。戦後の日本をそのまま見ているような気分だったとの老婆の感想。観てよかったって言ってたって。