『ミスティック・リバー』

ミスティック・リバー [DVD] 今回の『ミリオンダラー・ベイビー』も、一部団体と論争を巻き起こしつつもとても高評価の様子。しかしながら、ハリウッドのクリント・イーストウッド支持は過剰ではなかろうかと思うことがある。日本でも似たようなものかもしれないけれども。日米双方で非常に高評価を受けた『ミスティック・リバー』。手放しで「すごい」「深い」「重みがある」「絶対見るべき」なんていうには、粗や破綻があった気も。ティム・ロビンスショーン・ペンケビン・ベーコン三雄はさすがの存在感。
 人間の弱さや幼少期に負う傷、家族制度、父親像への問いかけなどなど、主題はふんだんに盛り込まれていたが散漫になり、後味の悪さで有耶無耶にして煙に巻くというか、目くらましを食らったような感じだった。この辺は好き好きだし、それこそこの映画の醍醐味!とか言われるとそれまでだけれど。
 ミステリーとしては雑な気がする。デイブの主観をあまりにもばっさりと切りすぎで、ここまで切るなら後の二人の処理も変え、一気に客観的なつくりにして欲しかった。不快感が残る。これが意味深い不快感だとは思わない。消化不良で終われば深い映画ということはない。観客に解釈を丸投げして考え込ませれば社会的な作品、というわけでもなかろう。そういう意味で、安易だと思う。混沌としたまま撮られ、混沌のままにただ提示された作品。現代の米国を映す鏡とか、こじつけっぽい。骨太って、雑で強引っていう意味だろうか。
 道徳論では割り切れぬ浮世の不条理。些細な選択でその後の人生は大きく変わってしまう。そんなの、このような形で示さなくてもわかってるよ。選択のやり直しがきかぬことも、それを背負って生きていかなきゃならんことも。しかしそのどうしようもない部分が、普遍性を持つにいたっておらず。
 小説の方がいいと聞く。たぶんそうなのだろう。でもでも「ただ単に嫌い。ぷい」で切り捨てられず、この不快感の所以を考えさせるという意味では、意義のある映画なのかも。『ミリオンダラー・ベイビー』も、「ラストの重い結末が…」云々を目にする。…ああ、またもなの…。