ted

mxoxnxixcxa2013-02-13

今さらだけれど、もう1回行きたいくらい。DVDでたら買いたいくらい。早々に今年のベスト1だって言いたいくらい。
めちゃめちゃ行きたくなる予告編。でもこんなかわいいもんじゃなかった。

なんというか、あらあ!そこまでは期待してなかったよ!ていうくらい、きっちりエンターテイメントな仕上がりになっていて、起承転結もしっかりばっちり。
大人になったのび太と世間擦れした役立たずのドラえもんというか、ジョンへの絶対的は友情なんかを見て昔飼ってた愛犬のことを思い出してほっこりしたりもした。というか予想だにせず胸がグンてきたりもした。眉と口元とお腹とお尻ともこもこ指かわいいかわいいかわいい欲しい。驚いて怯えたときにぴーん!てなった左手かわいい。
上映2週目くらいに行ったけれど、古都はレイトショーでもいっぱいだった。
Back off susan boyle!

まあそんなものだよね

mxoxnxixcxa2013-01-28

 先日ものすごうく久方ぶりに東京へ。兄弟の結婚式に出席してきた。
 私にとっては、匿名であっても書いて良いものか迷うことなのだけれど、まあいいか。
 彼の新妻は妹の友人だった子。初めて会った時というかそれだって妹の葬式とか遺品整理だとかその後の後処理だとかで初対面だったのだと思うのだけれど、新妻は最初から兄弟のことが好きだったらしかった。
 その後付き合いだして、私が上京した際なんかには3人で食事したりもしてきた。妹なんかいなかったことにして生きていきたい私にとって、兄弟の選択はなんというかもう、人ってそれぞれなんだなと思うばかりだ。とはいえ、これも一つの出会いのきっかけなのだとは理解しているつもり。
 彼にとって妹はきっとずっと、とても愛しいものなんだろう。あの後、彼は自分の家具を捨てて妹の家具を引き取って暮らしてきた。本当のところなんて知る由もないけれど、でもきっとたぶん、忘れたくない大事なものなんだろう。
 そのうえでやっぱり疑問なの。一体どういう気分で、自分勝手に死んだ身内の友人と家庭を築いていこうと思ったのだろう。それがよく分からないけれど、質問するべき事柄でないことくらい分かってる。私は家族なんてこれ以上増やす気にならないし、家庭を作る気にはなれない。身内に愛着はあるけれど、彼らが他界したらきっとほんの少しはほっとするだろう。失う不安が消えるんだから。
 妹なんていなかった。そう思わなければやっていけない。私が見てきたものは何だったのだ。一緒に過ごした時間は?あれやこれやの約束は?過ごした時間も、積んできたはずの何もかもをすべて否定された気分だ。これは2年半以上経った今も変わらない。それだけじゃない。堪えがたいのは、私という存在が妹にとって意味のないものだったと突きつけられたことだ。私は一体なんだったのだ。私はどうして身近な人間にとってさえ価値のある存在になりえないのだろう。
 わかってる私はいつも自分のことしか考えてない。
 否定されたんじゃない、そんなもの、そもそも意味のないものなのだと思う。思えばいい。家族や記憶なんて、大きな意味はない。ただそこにあるだけだ。そんな思いがずうっと空っぽな中をぐるぐるしている。儚くて虚しいものなんじゃない、そもそも大した意味を持たないものなの。意味があって欲しいと思う人にとってだけ意味があればいい。
 なんだか色んな事が麻痺してしまった。馬鹿みたいだ。あと数カ月で3年になるのにいつまで私はぐるぐるしているんだろう。
 それで、幸せいっぱいの新郎新婦を祝福して、久し振りの2丁目で飲んで帰ってきた。私はまだこういった場で多少の注目を浴びることができる。だからってそれが一体何なのだろう。私の容姿は確実に劣化して行くし、これから先も独りで過ごしていくんだろう。
 幸せそうな新郎新婦。大勢の友人からの祝福。この日のために選んだお気に入りのドレスとタキシード。目の前にあるものがこの先もずっと、どうか幸せなものであって欲しいと心底思った。それで思ったの。私はどうしてこんなに孤独なんだろう。スケジュールにあれこれ予定を盛り込んで、友人たちと飲んで騒いであほみたいに過ごしていても、ものすごく孤独だ。寂しいとか、そういうんじゃない。孤独でたまらない。
 私には妹が昔いたはず。でももう、それも単なる思い込みだっていう風に、思い込むの。私は孤独なんじゃない。自由なの。

一体なんだんだろう

 結局のところ、妹の自殺に対する「どうして」が拭い切れないのだ。
 他人の本当のところなんて分からないけれど、どうしても死ななければならない理由が、残された携帯のメッセージからは読み取りきれない。病気だと言えばそれまでだけれど、将来を悲観するにしては24歳は若すぎる。時間や多忙に追い詰められても、逃げ道なんて本当はいくらでもある。「もうだめだ」の根拠がわからないのだ。その「わからないもの」を、私にはできなかったとしても、神やら宗教やらの曖昧で壮大な観念なら出来ただろうって、ただ思いのだと思う。
 妹を思い出さない日はない。けれど、他の似たような立場の人がどうなのかは知らないけれど私が妹を思い出すときに、「あんなことしたなあ」とか、「こんなとこ行ったなあ」とか「あの時はこんなことあって、こうだったなあ」なんて淡く楽しい幸せな時間の共有を、失くしてきた思い出みたいに甘く懐かしく思うんでもない。「自殺した妹がいた。その人は自殺で他界した」という事実を繰り返し、念を押すみたいに思うだけだ。
 妹が死んで以来、私にとって「家族」というもの自体がそんなものになった。家族として積んできた時間や思い出のようなものを、肯定的に思い浮かべて幼少期を懐かしく想う気になれない。かといって取り立てて否定するわけでもないけれど、一片ががっさりと欠けてしまったものを、愛しいものとして大切にする気にもならない。とても残念なことだ。両親にも申し訳なく思わなくもないけれど。
 家族のくせに救えなかった。でもその理屈があるならば、家族のくせにこんな深手を負わせた。その罪だって同等ではないんだろうか。こんなこと考えても意味のないことだ。もういないのだから。
 だから私は家族自体に意味なんてないと思うんだろう。「何で結婚しないの。どうして結婚願望が無いの」と聞かれることも多いけれど、意味なんてないと思っているものをどうして作らなければいけないんだというのを飲み込んで、「えー願望はあるんですけどねー良縁に恵まれないっていうかさー」みたいに微笑んで答える。そんな時、普段は思わないけれどものすごく孤独だ。一生こんなふうに笑っていかなければいけないんだろうか。全部かなぐり捨てて遠くに行きたくなる。
 私はすごく乾いていて、そしてすごく強くなった。と思うたぶん。妹は一体なんだったのだろう。あの子は一体なんだったのだろう。