ねんねんいちねんのかんかくがはやくなる

mxoxnxixcxa2016-04-23

 早いもので、この国にきてからもう2年経ってしまった。なんということだ。早すぎる。あっという間だった。
 書類手続きがややこしいことで有名な国で、そりゃもう色々と格闘して、1つずつ手に入れてきた。とある職の資格、運転免許証、就業可能なビザ、仕事、住居、家具もろもろ、生活必需品もろもろ、社会保障番号、あれこれ保険手続き、幾人かの友人、他に他に…なんだろう。など考えると、いやいや、やっぱり長かったなあ、いやいやいや、やはり短くてあっという間だったよ。
 とにかく体当たりの連続で、よくまあ出来たものだなと思う。こんなことが出来るとは、ほんと想像したこともなかったなあって、リビングのソファーで一人でお酒飲みながら、ふと考える。ここのもの、みんな全部自分で手に入れたものだ。ほとんどの家具は友人たちがくれたものだけれど、その友人関係も、1からここで築いてきた。よくやったよもにか。特にがんばりはしなかったけれど、よくここまで来たよね。誰もいないから自分で自分に言って、もう一杯飲む。
 とにかく日本を出てゆきたかったからだ。いざ思い立ってから半年後に出国した、あの時の行動力と判断力は人生で一番冴えわたっていたと思う今のところ。それで今までやってきた無駄っぽいこと全部、それとなく報われた気がする。無駄に美術系で院まで出てみたり、ブラックな会社でカメラマンしたり、デザイン業したり、制作活動したりと、どうにも回収できなかったものものが。まともに喋れないうちでも、経歴は信用としてとってもらえた。
 それでもって、この地にそろそろうっすらと、根と呼んでもいいのかなと思えそうな基盤のようなものが出来つつあると思ってもいいのかな、的な気楽な身分の博打ライフながらも、やんわりと安定感のある日々ルーティーンの中で、時折考え込んだり呻ったりしているわけ。
 この田舎街に来て初めてのディナーを振舞ってくれた友人カップルが、この国きてから初の結婚式に呼んでくれて、それでのちのち出産した仏友人1号にもなり、そのお祝いにあれこれプレゼントを持参して会いに行って帰る道すがら、色んなことを考えてしんみりした気分になった。
 私は結婚にまるで興味を持ったことがなくて、誰かと家族みたいに暮らすことにも興味なくて、まして自分の子供を持ったり家庭を築いたりというのにも興味がなくて、これが自分だと知っているし、向いていなさそうなこともわかってる。それで、その理由も根拠もわかっている。私にとって家族とか家庭とかは、ほぼほぼ忍耐と献身で構築されているものだからだ。そこからようやく自由になったのだ。今さら新しいものは要らない。そもそも無縁のものなんて欲しがっても意味がない。
 だから、嗚呼孤独だなあ寂しいなあ身が千切れそうだ、でもでも気軽でいいじゃないかこれでいいのだと思って暮らしているのに、帰り道に考えたの。いつか、ああ私は子供を産まなかったなあなど、後悔というか何処かちくりというかわりとずきずきするものを感じるんだろうなって。欲しいと思ったことはないけれど、このまま歳を重ねて代謝やらホルモン的なものが変わる時が来て、女としての人生がここで一区切りで、次のステージへ強制移動という年齢にいつかなった時、私はきっと考えるんだろうと思う。自分が選ばなかったもの、選べなかったものを。本当は手に入るなら欲しかったけれど、元からあきらめて信用していないものを、きっとたぶん、すごくなかなかけっこう悲しく思うんだろうと、今からうっすら知っている。でも、わかっていてもどうしようもない。
 そんなことを帰り道に考えた。恋に落ちて同棲してプロポーズして結婚して子供をもうけて、家族やら家庭を築いていく、などを身近なところで目の当たりにすると、その度にじんわり衝撃を受ける。それで、そして、悲しくて崩れそうになる。どうして私は、こういう柔らかくて暖かそうな、安らかと呼べそうな優しいものを知らないんだろう。当たり前の様にそこかしらにあるのに、どうして私にはこういうものがないのだろう。こういうものがなかったのだろう。
 そんな時は頭を整理して、感情に押し流されそうになるところを、深呼吸して理性で出来るだけ振り分けるの。何もかも望んでも仕方がないのだ。持っていないものも多いけれど、手に入れたものも、同じ程度にはある。自力で手に入れたものだ。それに少なくとも、私は母のような人間にはならない。充分じゃないのって考える。
 家という小さな単位の社会にさして良い思い出がない人間が、子供なり家庭を持ったりしても、それを思い出してしんどくなるだけだろう。よくある話。それに似たような環境で育った人間は、いくらでもいることを知っている。その中でもいくらかの人たちは、メンタルを持ち崩して、それがアイデンティティになってしまったり、社会的にうまく生きられなくなったり、他人を傷つけたり、自ら死んでしまったりする人もいる。私は少し強くて冷静な方。屈託なく明るく生きる演技力というか処世術だってある。家族が家庭がなんて、固執するほどの価値なんてないんだから笑って流してしまえ。
 なのに時々、悲しくて崩れそうになる。どうしてこうなってしまうのだろう。本当は欲しくてしかたがないような気もするのに。
 愛の国の片田舎では、みんな誰かしらと生活を共にして暮らしている。当たり前のような風景を見ていると、ほんとにたまに時々ちょっとだけ、悲しくてたまらなくなる。どうしてこういうものを信じていないんだろう。遠ざけてしまうんだろう。だからネットの森に穴掘って、王様の耳はロバの耳ってカタルシスを呟いておく。私は自由なの。やっと本当に自由になった。これが一番欲しかった。
さて月曜からまた笑って仕事にいくわ。過去のないとこに来たんだから